2025年12月13日 13:30~16:00
[主催]日本市民安全学会、警察政策学会市民生活と地域の安全創造研究部会

 神奈川県川崎市にある、明治大学平和教育登戸研究所を視察しました。登戸研究所は正式名称を、第九陸軍技術研究所といい、物理的に戦う兵隊とは異なり、情報戦を戦ういわばインテリジェンスチームとして存在しました。秘密部隊であるため、秘匿名として登戸研究所と呼ばれてきました。この研究所を作ったのは、岩畔豪雄(いわぐろひでお)で、「もし、日米が戦い、長期化したら勝算は全くない」、「戦争は武力以前に勝負が付いている。武力以前とは、諜報であり科学技術であり物流であり経済力である」との考えから、「謀略」「諜報」の重要性を説いたといいます。当日は、大学のキャンパス内に点在する史跡を、解説者のお話しを聞きながら周りました。

生田神社(弥心神社)
登戸研究所視察260219
生田神社(弥心神社)

 最初に生田神社を訪れました。元々は弥心(やごころ)神社と呼ばれており、研究の神様を祀っているとのことでした。次に動物慰霊碑に向かいました。生物兵器などの実験のために多くの動物が使われてきたこともあり、動物たちの慰霊のために建立されたもので、高さ3mの巨大な慰霊碑は圧巻でした。さらに、現存はしていませんでしたが、偽札製造を行っていた建物の跡地を見学したあと、登戸研究所資料館に向かいました。

動物慰霊碑 登戸研究所視察260219
動物慰霊碑

 防諜(スパイ活動防止)、諜報(スパイ活動)、謀略(破壊活動、撹乱活動、暗殺)、宣伝(人心の誘導)のためのさまざまな秘密兵器の開発の歴史が展示されていました。中でも、最終兵器としての風船爆弾の説明展示は興味深く、二昼夜かけてアメリカ大陸まで爆弾を運ぶ緻密な計画には驚かされました。また、終戦の玉音放送が流されるよりも前に、研究所には連絡があり、ありとあらゆるものの証拠隠滅が行われたとのことで、究極の秘密部隊であったことを物語るエピソードかと思われました。

一通り研究所内を見学したあと、30分ほどの動画を鑑賞しました。一言も語らなかった研究所のメンバーが、熱心な高校生の調査活動に心を動かされ、生き証人として登戸研究所のことを語るまでの逸話がまとめられていました。

今回の視察を通じて、あらためて平和の大切さを学んだ1日となりました。

登戸研究所の前で 登戸研究所視察260219
登戸研究所の前で